2020/01/31

シルバー建材


写真はアイズでデザインしたパチンコ店です。
遊興施設にありがちな、けばけばしいデザインをあえて避け、安心できる佇まいを訴求しました。
素材はアルミ。横格子に組んだルーバーで、断面はかまぼこ型。少しむくりがあるので、ルーバー一本一本にやわらな陰影がでます。

銀色、シルバー色の建材。カッコイイですね。
素材としては、ガルバリウム鋼鈑、アルミ、ステンレス等々。
建材としては、外壁、屋根、ルーバー等々、豊富です。

シルバー色の建材は、ボリューム感によってはマシッブでありながら、軽快感もあり、ごてごて飾るより、シンプルで、スマートで、飽きがこない・・・・

ただ・・・・・
しばらく前から世の中には「シルバー信仰」のようなものがありました。

シルバーならカッコイイという感覚。

日本のまち並みは、往々にして、カラフルというより、雑迫な印象があります。それは、其々の「個の嗜好」がとっちらかったまま集積、連単となっているからです。

確かに、そのなかにあって「シルバー」はミニマムで、明快で、それでいて、まち並みを阻害しない。潔く、その嗜好・価値観を表現する素材です。
場合によっては、いい意味で存在感が希薄にもなり得ます。
特に、住宅では、住まい手のライフスタイルを、表現する建材です。

しかし、公共、もしくは公共的な建物においてはいかがでしょうか。

まちの中にあって「それなりの存在感」は、地域の安心・安全に繋がったり、まちの豊かな表情に繋がります。

まちが、カラフルがいい、ということでないのです。

住宅や店舗など嗜好・志向の色濃い建物ではなく、公共的な建築で「なぜこの建物はシルバーなのか?」という疑問を感じたことがままあるのです。
公共なのに、なんだか冷たいというか、無機質というか・・・そんな印象がありました。

それら、シルバーの建物を設計・選択するプロセスには何があったのか?
シルバーを選択した理由は何なのか?

私にはあまりよいイメージを連想することが出来ませんてました。


選ぶ前に「なぜそれを選ぶのか」を考えるのが自分のシゴトです。

結局、建築に向かうのか、ベクトルの先に建築があるのか。と同じですね。

シルバーにありきで向かうのか、試行錯誤したベクトルの先にシルバー建材があるのか。

それは、本当に大きな違いです。


そして、最近は「木・木造・木材」へ潮流が流れています。

なるほど、その時には一見それが揺るぎない嗜好・価値観に見えても、時代は流れているようです。

そうなると時代が「シルバー」に飽きてしまったりしたのでしょうか?

そうなると、シルバーを選択したのは、単なる流行りに乗ったことになります。

そう、流行りです。

てば、流行りにのることはネガティブなのか・・・

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2020/01/20

ベクトル



ベクトル⇒力学で、力点の始点・終点を結んだ、矢印の向きと大きさ。

ベクトルが建築に向かうのか、向いたベクトルの先に建築があるのか、成果として建物ができるのは、同じように感じるかもしれません。

ただ、建築を設計する過程で「ベクトルの向き」にこだわるのは「建築の目的」にあります。
ですので、向きというより「設計のスタート地点」の違いのほうが分かりやすいかもしれません。

建築はその存在に、様々な内的・外的要件が関わり錯綜します。
共通要件は「人々が某かの行為をする単位空間」であることのみ。

過去に「建築は総合芸術である」とした思想もありましたが、あくまで一義的な空間単位でなく芸術ととらえよ、という文化的思考です。

となると、建築=総合芸術とするのは少々狭義的で、様々な建築のありかた、空間用途の活用を、息苦しく、案外つまらないものにしかねません。

もちろん、そもそも何の思想・志向・嗜好なく創作された建築は論外ではあります。

しかし、その逆、「人々が某かの行為をする単位空間」である以上、論外なものが生産される事実もあります。

実際、日本の戦後建築史は、文化と経済が完全に2分された側面もみられます、
芸術的な建築と、採算性オンリーの建築が、大量発生大量消費の時代には両極で存在していました。
その後、価値観は多様化し、芸術・経済、その垣根もさらに混沌としています。

まさにカオスです。

建築という終点に向かうベクトルが交錯しています。


アトリエ系設計事務所では、建築へ向かうベクトルは、総合芸術へ向かいたがります。
いわゆる作品づくり。
その結果、人の行為よりも、芸術的な単位空間が優先される建築がうまれます。

逆の場合は、経済性一辺倒で、なんとも味気なく、ぬくもりのない空間単位の羅列になります。


使いどころのよく分からない「無駄に大きな空間の見せ場」や、その逆、使い勝手だけ考えた味気ない「経済性優先の空間」が巷に溢れるあるのは、「最初から」ベクトルが「その目的」に向かっているのです。
おそらくその方が、作りたい、売りやすい、瞬間的な評価が得やすいというのもあるでしょう。

その違いがわかりずらいのは・・・
「建築ありき」であることを、それぞれ創り手が疑っていないこと。
芸術性にせよ、経済性にせよ、建築設計では当然すぎて、設計する側がそれに疑問を持たない。

疑問を持たないと「こうあるべき」が強くなる傾向があります。

ではなく、「こうあるべき」より、着地点を
「あぁ、こういうのもありだな・・・」を目指そうとすると、
「設計のスタート地点」そのものが別のところになります。
「ベクトル」そのものが違ってきます。


前職や創業時とは、「ベクトル」「設計のスタート地点」は、明らかに違うところにあると感じています。


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2020/01/17

職人?



基本、職人さんと建築士(設計)は職能が異なり、
その違いでのやり取りが、面白み醍醐味です。
ですが、職人さんがカッコイイあまり、職人的な立ち位置で、
仕事のアプローチをとりたがる建築士(設計)さんとの会話が、
正直、同じ建築士(設計)としては、最近ちょっとつまらないです。
やっぱり、建築士(設計)は職人ではないし、強みはちがうと思うのです。

設計者だからこそのデザイン・アプローチが売りのはずです。

2020/01/09

元請け

川崎市には100以上、神奈川県では15000以上の建築士事務所があります。
資格とパソコンさせあれば、独立開業出来るとよく言われています。

設計の仕事がそれほどあるのか・・・

ありません。

多くの事務所は、他の事務所の下請けや確認申請代行、もしくは大学や資格学校の非常勤講師など、それぞれ様々なキャッシュポイントがありますので、それぞれ得意分野で経営されています。

クライアントから元請けとして経営をなりたたせているのは、感覚的には1割あるかないかでしょうか。
残念ながら2:8の理論、パレートの法則もあてはまりません。
アチーブメント系の成功者5%の理屈のほうが、割合的に近いかもしれません。

独立以来、元請け事務所としてこだわってきました。
勿論、そう簡単にはいかず山あり谷あり・・・腎臓が弱いのも一時期の無理が祟ったのは否めません。

しかし、様々なご縁にも恵まれ16年間での下請け比率は5%程度。
その下請けも、それまで経験のなかったエステ業界など、スキルアップにつながる業務を選んできました。自分なりに元請け事務所として、取り組んできたつもりです。

元請けと下請け、建築士事務所業界では他の業種・業態と、かなり異なる側面があります。

それは「業務に対しての責任」です。

元請けは勿論責任を負います。
法律上丸投げは禁止になっていますので、下請けは作図だけで、元請けの管理建築士の責任で確認します。つまり、下請けの責任感は希薄になります。

ですので、案外下請けは気楽なんです。

仲間同士協力をお願いすることはあります。その時は、単に元請け・下請けでなく協働意識で協力をあおぎます。

勿論、責任は私元請けですが、ありがたいことに、お気楽でない仕事仲間に恵まれています。

いわゆる、コラボレーションです。


ワーカホリック



仕事は大好きです。

一級建築事務所業務を生業にしています。
建物の設計・現場の法的な監理が、建築士の業務です。
我々同業のビックネームは、安藤忠雄氏や隈研吾氏です。その他、同業他社は星の数ほどいます。

先輩・同輩・後輩、同業仲間とコミュニケーションをとりますが、世代問わずみんなよく建築を知っています。
その情報量・記憶メモリー容量の大きさは、流石それなりに難関と言われる国家資格取得者です。そしてそのメモリー能力を遺憾なく発揮する、建築愛を持って仕事に取り組んでいます。

私は恥ずかしながら、その脳内情報量は同輩に敵わないと思うことがあります。
建築好きという側面では敵わないです。

ただ、仕事好きとなると、そう簡単には負けません。
むしろまわりが引くほどのワーカホリックではないかと・・・。

体力さえもてば、気持ちは問題ないです。休みは、なくてもいいです。典型的なワーカホリックだと思います。
あえて生意気を言いますと、彼らより労働時間は長いです。それを嫌とも思っていません。

私の脳内情報量は限られるので、単なる情報であればネットなど頭の外に置いてあればよいとして、むしろ要は検索スキルとその時間の確保。
脳内は記憶よりも、洞察・思考・創造=ワークにメモリーを使うべきとも感じてます。
記憶容量より、処理能力。HDDよりRAM,SSDが強み、と言ったところでしょうか。

なので、私の建築へのベクトルが、業界スタンダードでないように感じています。
建築ありきなのが、プロセスの先に建築があるのか。私は後者のつもりです。

設計の仕事自体プロセスを積み重ねないと出来ませんので、全てが後者に見えますが・・・

例えば、商業施設を提案するとき、マーケティング的な分析のうえで、事業計画を提案し、その為のカタチをつくります。
実はこれらは独立してから私なりに積み重ねたプロセスです。
独立前は、敷地があり、面白い平面計画を提案して、事業計画書を添付しました。

つまり、プロセスが逆なのです。 

ベクトルが建築に向いているのではなくて、向いたベクトルの先に建築がある。そんな感覚です。

ですので、場合よっては目玉の空間、例えば大きな吹抜ホール空間のような、建築的な見せ場が無い提案もすることがあります。
必要が無いからです。

ホールのような大きな単位空間で、建築的な見せ場が無いような建物は、建築好きには駄作です。実際、私の計画案をみ見た方に言われたことがあります「建築として絵にならない」。大きな空間空間単位ありき=見せ場のある魅力的な建築、という捉え方をすると、建築として面白くないと・・・・

しかし、見せ場がなくても、居心地の良い建築をデザインすることはできます。

居心地の良い空間は、魅力的ではありませんか?
居心地のために大きな単位空間がなければ、その建築に魅力はないのでしょうか?
そうなると、大きな見せ場は「必要」なのでしょうか?

居心地を優先なのか、建築の見せ場が優先なのか。

向いているベクトルが根本的に違うと思うのは、そんな理由です。



なので、ワーカホリック=建築好きとはちょっと違うのかなと・・・


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2020/01/08

フラット




私の仕事をするうえでの関わるメンバーは
「違いが面白い人」が多いと思っています。

そもそも、建築は多岐にわたる専門性をもったメンバーが集まって
出来上がるものであるので、技術的な部分は、当然得意分野が違う。

得意分野が違えば、違った考え・間隔・仕事のやりかたがあって当然。
価値観も他者であれば、全て同じではなく、
むしろそれらの違いが「化学反応」を起こし、
面白いアプローチ、面白い結果、面白いカタチ・空間になる。

もちろん、目的・目標があまりにも違うと、
「自己満足の承認欲求」という害でしかないケースはあり得ます。
しかし、それぞれが「達成欲求」を持っていないと「化学反応」は起きません。

そんな「違いが面白い人」がアイズのチームには揃っています。






2020/01/01

新春


あけましておめでとうございます。

令和初めてのお正月。新しい時代の始まり。
新しい時代を一歩づつ、階段を一段一段と・・・・


そこで年越しから、改めて「建築設計事務所のビジネス・モデル」を考えてみていますが・・・


建築設計事務所業界の天望は・・・

経済成長とバブルで散々とっちらかされ、右肩下がりというか、もう何もない絶望的なマーケット・・・

なのに、今だに有象無象ひしめく真紅深紅なレッドオーシャン・・・

大多数はAIに代替わりするであろう、製品・工業化された大手設計事務所・ハウスメーカーの建築士設計業務・・・

それは他人事として、危機感を抱かず、プライドはあるけど、実は安価な業務に追われ疲弊する、中小建築士事務所・・・

ほとんど下請け業務で、中途半端に広いノウハウはあるが、責任を取る立場はとらず、お気楽で建築オタクなだけな零細建築士事務所・・・

相対数が減っているのに、会員増加を謳いながら、名誉を求めることしかせず、実は足を引っ張りあい、未来を天望できない業界団体・・・

未来の見えない無責任な「やりがい」だけを振りかざし、次世代を作ろうというノー天気な育成・教育・・・

いやいやいや、笑えるくらいに希望的な要因がない我業界、私の立ち位置(T_T)



その中で、選択肢はおそらく2つ。

一つは・・・撤退。

もう一つは・・・ミネバにだした一杯のコーヒーがつくる「微笑みがつなぐ」的なやつ!


リアルで何某かに繋がるカタチを、コツコツ創っていくしかないんだなと、改めて令和に思います。

新しい時代を一歩一歩、一段一段・・・・・・



本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


令和二年 元旦

有限会社 アトリエ アイズ 今井博康

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